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同書で注目されている俳優の実名は、中尾彬、渡哲也、石坂浩二など。それ以外にも岡田裕介、清原和博、東山紀之、本城和彦などの名前が取りざたされている。
たとえば、石坂浩二ののくだりはこんなふうに……
そもそも、吉永は恋に強く焦がれるタイプ。69年に上梓した「こころの日記」(10代後半につづった日記集)の中では、「私を強く抱きしめてくれる人が-その胸の中で思いきり泣かせてくれる人がほしい」「私の手紙 あの人の胸にとどいたかしら」などと吐露しているのだ。「奥様方には叱られるかもしれませんが、家庭も仕事もすっぱり捨てて、この人と思った人と一緒に暮らそうとする。ある意味で男の人にとって理想だと思います」
石坂浩二(70)も彼女が恋焦がれた一人。当時、石坂は加賀まりことの交際が盛んに報じられており、そこに吉永が「参戦」して‥‥。だが、前出のジャーナリストは、吉永から次のように打ち明けられたという。
「凄く好きだったけど、恋愛にもならなかった。妹みたいに思われて、相手にしてくれなかった。女として見てくれなかったんです」
多情で多感な私生活。清純派とは裏腹の顔を見せていた吉永には、実は所属する日活の上層部から、「恋愛禁止令」が出されていたという。
<元日活常務の江守清樹郎もこう回想している。
《ボクは十六歳の彼女をひきうけた時、彼女にク二十一歳までは結婚するな。男を知ってもいかん″といったものです。彼女も〝わかっています〟と答えましたね。二十一歳に彼女がなったとき、こんどはク二十六歳まではダメだよ〟というと、彼女はこれにも〝はい〟と答えてくれた》>
だが、実際は守っていなかったことに‥‥。
吉永小百合が『時雨の記』(98年、東映)のインタビューにおけるコメントである。
60歳過ぎた女性の遍歴など今更、という見方もあるが、吉永小百合といえば、映画とテレビをまたにかけて活躍した戦後芸能史に欠かせない女優であり、その遍歴は昭和の芸能史を紐解くよすがとなるだろう。
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